2020年05月17日14:07
浜松の【名前】にまつわる由来のあれこれ≫
こんにちは!The GATEです。
本日のおうちでGATEは、浜松の地名や名字の由来について、いくつかご紹介していこうと思います
地名や名字など、名前の由来を調べてみると、歴史的な出来事と絡んでいるものが多く、とても興味深い内容でした。ただ、ほとんどの物があくまで『諸説ある』うちの一説というものが多いため、今回は特に有名だったり浜松にまつわる逸話の部分を紹介していこうと思います。ご了承の上ご覧いただければ幸いです。
浜松の地名について
①浜松

先日投稿した【浜松の歴史】でも少し触れましたが、浜松について書かれた最古の文献は、伊場遺跡から出土した奈良時代の木簡で、そこに記されていた言葉は「浜津(はまつ)」でした。その後、平安時代に書かれた和名抄の中に「浜松」の言葉が残っており、この間に浜津という地名が浜松に転じたと言われています。この変遷理由には諸説あり、もともと「津」は港の意味だったのが、土砂などで港としての機能がなくなったため、「松林の浜」の意味で、縁起の良い「松」の字を充て、はままつ読みが定着した、などあるようです。
②小豆餅/銭取

浜松にあるユニークな地名として、まず最初にご紹介するのが有名な「小豆餅」。浜松市中区小豆餅という、れっきとした町名です。この地名の由来には、2つのエピソードが伝説として残されています。
1つ目は、徳川家康が三方ヶ原の戦いから逃れる途中、空腹に耐えかねて寄った茶屋で小豆餅を食べた話。また、その際、敵軍が追ってきたため、慌てて未会計のまま茶屋から逃げ出した家康公を、食い逃げ犯だと思い込んだ茶屋のおばあさんが追いかけて代金を支払わせた場所が、銭取という名前で残っていると言われていました。
ただし、これは家康公に親しみを込めて後世に創作された話だとの事です。
実際には、三方ヶ原の戦いの戦死者を弔うために、小豆餅を供える習慣が続いたことによるようで、この説にも面白い逸話が「浜松風土記」に残されており、これが2つ目のお話です。
2つ目。家康公から数えて4代後の浜松城主、堀尾信濃守忠氏(ほりおしなののかみ ただうじ)の弟高階晴久が三方ヶ原の茶屋に入り小豆餅を食べていると、次々と店内で奇怪なことが続き、怖くなって逃げだしてきた。翌日改めて三方ヶ原に行くも、その茶屋は見当たらず、茶屋があったはずの場所からは戦死者の遺骨が散乱していた。この骨をかき集めて焚いて埋め、小豆餅を供えて供養したのが始まりだそうです。
銭取という地名は町名ではなく、今では遠鉄バスのバス停で見かけるくらいですが、これはこのあたりによく山賊が現れて金品を盗まれることがあったため、こういう名前が残っているという事のようです。
③布橋

さて、次も少し血生臭いお話が続いて恐縮ですが、布橋という地名も三方ヶ原の戦いが由来になっているんですよ。
三方ヶ原で敗北し浜松城へ逃げ帰った徳川軍が、どうにか武田軍に一矢報いようと、犀ヶ崖(さいががけ)に大きな白い布を張り、一見するとまるで橋がかかっているように見せかけました。この思惑通り、これを橋と思って通ろうとした武田軍がまんまと崖に転落、沢山の死者を出したそうです。それから、このあたりでは夜な夜な人や馬のうめき声が聞こえる、カマイタチに遭遇する被害が出る、イナゴの大量発生で農作物がダメになるといった奇怪な出来事が続きました。これを武田軍の祟りと恐れた住民らの声を聞いた城主家康公が、武田軍の供養を依頼し、現在まで続く郷土芸能である「遠州大念仏」となりました。
④寸座

奥浜名湖の風光明媚な岬のある寸座ですが、ここも徳川家康にまつわる地名の由来といえる逸話があります。
家康公が気賀にある堀川城を攻め落とした際に、この地へ立ち寄り、堀江(現在の舘山寺付近)に渡るためにしばらくの間ここで休息をとったことから、「寸座(すんざ)」と名付けられたとの事です。
他にも平安時代の武将が同じくこの地で休憩を取ったため、など諸説あるようですが、いずれにしても「一寸座って」休憩したくなるほど、この寸座峠から見る奥浜名湖の風景は息をのむような美しさですよね。
⑤東京の浜松町
ちなみに、東京にある浜松町。県外でどこ出身?と聞かれて「浜松」と答えると、特に東京近郊の方には浜松町と思われることがよくありますよね。あまり身近な町ではないイメージですが、この浜松町もちゃんと浜松由来の地名なんです。
江戸初期は浜松町は奥住久右衛門という人が名主の「久右衛門町」という地名だったのですが、1696年、跡役についたのが浜松出身の権兵衛という方で(名字の情報は残っていないようです。)、この時に地名を浜松町と改めたそうです。
浜松にまつわる名字の由来
①浜松さん/濱松さん
私事ですが、中学生の時に読んでいた漫画に突如「浜松くん」という強烈なキャラクターが登場し、そこで初めて日本に浜松という名字の方が存在するのを知りましたが、浜松に住んで30年以上、残念ながら未だ実際に浜松さんにお会いしたことはありません。
浜松さんは全国のどこにいるのか調べてみたところ、全国的に多いのは北海道、東京、大阪等。人口比率として多いのは富山県、秋田県のようです。(名字由来net.さん参照。)芸能人では女優・タレントの濱松恵さんが有名ですね。
②小粥さん
小粥(おがい)さんという名字、全国的にも特に浜松に多い名字なんです。字の通り、お粥が由来になっており、その逸話がこちら。
三方ヶ原の戦いで敗れ逃げ帰ってきた家康公は、空腹に耐えかねて近くにある農家の家に飛び込み、食べ物を求めました。この家の老夫婦は粗末なお粥しかないと断ったものの、それでも良いという家康公にお粥をふるまったそうです。お粥を食べ終えた家康公はこのお礼は必ずするといって立ち去りました。その後、天下を取った家康公はこの老夫婦に「小粥」という姓を与えたそうです。
浜松ではあまり珍しくない小粥さんですが、このような由来はとても誇らしいことですね!
実際に小粥さんの家紋は、円の中に二本の棒が左右に渡っている図形なのですが、これは空の茶碗に箸を置いた様子を上から見た図が元になっているそうです。
以上、今回は浜松の地名や名字など、浜松の名前にまつわる情報をお届けしました。
本日もご覧いただき、ありがとうございました
本日のおうちでGATEは、浜松の地名や名字の由来について、いくつかご紹介していこうと思います

地名や名字など、名前の由来を調べてみると、歴史的な出来事と絡んでいるものが多く、とても興味深い内容でした。ただ、ほとんどの物があくまで『諸説ある』うちの一説というものが多いため、今回は特に有名だったり浜松にまつわる逸話の部分を紹介していこうと思います。ご了承の上ご覧いただければ幸いです。
浜松の地名について
①浜松

先日投稿した【浜松の歴史】でも少し触れましたが、浜松について書かれた最古の文献は、伊場遺跡から出土した奈良時代の木簡で、そこに記されていた言葉は「浜津(はまつ)」でした。その後、平安時代に書かれた和名抄の中に「浜松」の言葉が残っており、この間に浜津という地名が浜松に転じたと言われています。この変遷理由には諸説あり、もともと「津」は港の意味だったのが、土砂などで港としての機能がなくなったため、「松林の浜」の意味で、縁起の良い「松」の字を充て、はままつ読みが定着した、などあるようです。
②小豆餅/銭取

浜松にあるユニークな地名として、まず最初にご紹介するのが有名な「小豆餅」。浜松市中区小豆餅という、れっきとした町名です。この地名の由来には、2つのエピソードが伝説として残されています。
1つ目は、徳川家康が三方ヶ原の戦いから逃れる途中、空腹に耐えかねて寄った茶屋で小豆餅を食べた話。また、その際、敵軍が追ってきたため、慌てて未会計のまま茶屋から逃げ出した家康公を、食い逃げ犯だと思い込んだ茶屋のおばあさんが追いかけて代金を支払わせた場所が、銭取という名前で残っていると言われていました。
ただし、これは家康公に親しみを込めて後世に創作された話だとの事です。
実際には、三方ヶ原の戦いの戦死者を弔うために、小豆餅を供える習慣が続いたことによるようで、この説にも面白い逸話が「浜松風土記」に残されており、これが2つ目のお話です。
2つ目。家康公から数えて4代後の浜松城主、堀尾信濃守忠氏(ほりおしなののかみ ただうじ)の弟高階晴久が三方ヶ原の茶屋に入り小豆餅を食べていると、次々と店内で奇怪なことが続き、怖くなって逃げだしてきた。翌日改めて三方ヶ原に行くも、その茶屋は見当たらず、茶屋があったはずの場所からは戦死者の遺骨が散乱していた。この骨をかき集めて焚いて埋め、小豆餅を供えて供養したのが始まりだそうです。
銭取という地名は町名ではなく、今では遠鉄バスのバス停で見かけるくらいですが、これはこのあたりによく山賊が現れて金品を盗まれることがあったため、こういう名前が残っているという事のようです。
③布橋

さて、次も少し血生臭いお話が続いて恐縮ですが、布橋という地名も三方ヶ原の戦いが由来になっているんですよ。
三方ヶ原で敗北し浜松城へ逃げ帰った徳川軍が、どうにか武田軍に一矢報いようと、犀ヶ崖(さいががけ)に大きな白い布を張り、一見するとまるで橋がかかっているように見せかけました。この思惑通り、これを橋と思って通ろうとした武田軍がまんまと崖に転落、沢山の死者を出したそうです。それから、このあたりでは夜な夜な人や馬のうめき声が聞こえる、カマイタチに遭遇する被害が出る、イナゴの大量発生で農作物がダメになるといった奇怪な出来事が続きました。これを武田軍の祟りと恐れた住民らの声を聞いた城主家康公が、武田軍の供養を依頼し、現在まで続く郷土芸能である「遠州大念仏」となりました。
④寸座
奥浜名湖の風光明媚な岬のある寸座ですが、ここも徳川家康にまつわる地名の由来といえる逸話があります。
家康公が気賀にある堀川城を攻め落とした際に、この地へ立ち寄り、堀江(現在の舘山寺付近)に渡るためにしばらくの間ここで休息をとったことから、「寸座(すんざ)」と名付けられたとの事です。
他にも平安時代の武将が同じくこの地で休憩を取ったため、など諸説あるようですが、いずれにしても「一寸座って」休憩したくなるほど、この寸座峠から見る奥浜名湖の風景は息をのむような美しさですよね。
⑤東京の浜松町
ちなみに、東京にある浜松町。県外でどこ出身?と聞かれて「浜松」と答えると、特に東京近郊の方には浜松町と思われることがよくありますよね。あまり身近な町ではないイメージですが、この浜松町もちゃんと浜松由来の地名なんです。
江戸初期は浜松町は奥住久右衛門という人が名主の「久右衛門町」という地名だったのですが、1696年、跡役についたのが浜松出身の権兵衛という方で(名字の情報は残っていないようです。)、この時に地名を浜松町と改めたそうです。
浜松にまつわる名字の由来
①浜松さん/濱松さん
私事ですが、中学生の時に読んでいた漫画に突如「浜松くん」という強烈なキャラクターが登場し、そこで初めて日本に浜松という名字の方が存在するのを知りましたが、浜松に住んで30年以上、残念ながら未だ実際に浜松さんにお会いしたことはありません。
浜松さんは全国のどこにいるのか調べてみたところ、全国的に多いのは北海道、東京、大阪等。人口比率として多いのは富山県、秋田県のようです。(名字由来net.さん参照。)芸能人では女優・タレントの濱松恵さんが有名ですね。
②小粥さん
小粥(おがい)さんという名字、全国的にも特に浜松に多い名字なんです。字の通り、お粥が由来になっており、その逸話がこちら。
三方ヶ原の戦いで敗れ逃げ帰ってきた家康公は、空腹に耐えかねて近くにある農家の家に飛び込み、食べ物を求めました。この家の老夫婦は粗末なお粥しかないと断ったものの、それでも良いという家康公にお粥をふるまったそうです。お粥を食べ終えた家康公はこのお礼は必ずするといって立ち去りました。その後、天下を取った家康公はこの老夫婦に「小粥」という姓を与えたそうです。
浜松ではあまり珍しくない小粥さんですが、このような由来はとても誇らしいことですね!
実際に小粥さんの家紋は、円の中に二本の棒が左右に渡っている図形なのですが、これは空の茶碗に箸を置いた様子を上から見た図が元になっているそうです。
以上、今回は浜松の地名や名字など、浜松の名前にまつわる情報をお届けしました。
本日もご覧いただき、ありがとうございました
