クラフト体験【遠州綿紬でくるみボタン作り】

カテゴリー │浜松市浜松土産TheGATE館内ご案内

こんにちは☀️ The GATE HAMAMATSUです。

本日のおうちでGATEは、昨日・一昨日に引き続き第3弾!
クラフト体験をご紹介致します!

当館では現在、下記の3種類のクラフト体験が楽しめます。
どれもお一人様500円とお手頃価格ですキラキラ

天竜区佐久間で養殖されているアワビの貝殻を使ったストラップ作り

中田島砂丘をイメージした砂の瓶詰めの置物作り

遠州綿紬を使ったくるみボタン作り

本日は最終回!
遠州綿紬を使ったくるみボタン作りのご紹介です





遠州綿紬とは…
江戸時代から浜松市では「機織り」というものが始まったとされます。
機織りには棉(わた)を糸の状態にする工程や染める工程など、様々な工程があり、それぞれが得意分野を担当したことが分業制 につながったと伝えられています。
遠州地方は温暖な気候と豊かな自然に恵まれ、 棉作りに適していて、三河、泉州とならび、綿の三大産地として栄えました。
明治以降、力織機(りきしょっき)という自動織り機が誕生。昭和30年代から織物は全盛期を迎えました。
しかし平成になってから生産量は減る一方に。遠州綿紬は今も職人の手によって作られる織物です。
かつての織物の産地だった浜松に伝統という形を残してくれている商品です。

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当館でご用意している遠州綿紬の切れ端は、当館でお取り扱いをしている
ぬくもり工房さんからご好意で材料提供をしていただいております。



ではくるみボタンの作り方を説明していきます!


まずは、自分の好きな柄の布を決めましょう。
その次に好きな大きさのボタンを2つお選びいただきます。
(くるみボタンは2つで500円の体験です。)



たくさん柄がありますのでじっくり悩んでくださいね。
この写真に写っている布は一部になりますので、実際にはもっと柄の種類がございます!



ボタンの大きさは27m/mと22m/mがございます。
大小でつくるもよし、欲張って大きいの2つでも!

スタッフは今回、小さいくるみボタンをつくってみます!


布やボタンが決まったら、ボタンの大きさに合わせた型紙で布を切っていきます。
実は結構慎重な作業ひみつ
型紙を間違えないようにご注意くださいね。



ちょきちょきちょき………✂︎

切り取れました✨




切った布を専用の容器の真ん中に合わせます。



真ん中がずれてしまうと、上手にボタンがはまらないので気をつけてくださいね。


ボタンのもとを押し込んで、布をまとわせます。



ぴろぴろ〜とイソギンチャクのような形になりました。
こちらの布をすべて収納してつぎの作業へうつります!




ボタンになる部分の金具をグッと押し込みます。





こちらも真ん中に合わせて、専用の容器でグッ!と押します。
ポコッという音がしたらちゃんとはまっている証拠です!
結構力のいる作業になりますので、小さなお子様は保護者の方や、スタッフが手助けいたします!

さてさてスタッフのものは…ちゃんとはまったみたいです。



取り出してみましょう〜!


専用容器からボタンを取り出して、ゴムをつけたら完成!



こんな感じにできました!
遠州綿紬の特徴である縞の部分がとっても可愛いですねハート

当館のほうで髪ゴムを用意していますので、ヘアアクセサリーにしたい方はその場でお付けして完成です!
そのままお洋服のボタンにするのも、缶バッジ風にアレンジするのもいいですね音楽

使うのははさみだけなので、ちいさなお子様でも安心して体験していただけます。
おうちでも簡単にできますので、もしおうち時間に新しいことをしたい!という人にもおすすめですよ✨

さて、以上でクラフト体験のご紹介は終了となります。
ぜひ休館が明けた際には、みなさんどしどし体験しに来てくださいね!







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GATE館内にはクラフト体験コーナーを設けており、開館中は売店レジにていつでも受け付けています。
(製作時間があるため、お申し込みの締め切りは18時頃まででお願いしています。)





浜松・浜名湖ツーリズムビューロー運営の「ちょい旅ガイド」にも掲載いただいており、
こちらのサイトから予約申し込みもできます下

https://hamamatsu-daisuki.net/hamanako-choitabi/100/


おすすめじゃ!!


 

クラフト体験 【中田島砂丘をイメージしたオリジナル砂の小瓶置物作り】

カテゴリー │浜松市浜松土産TheGATE館内ご案内

こんにちは TheGATE HAMAMATSU です。


おうちでGATE、本日も昨日に続き
クラフト体験をご紹介致します!

当館では現在、下記の3種類のクラフト体験が楽しめます。
どれもお一人様500円とお手頃価格ですキラキラ

天竜区佐久間で養殖されているアワビの貝殻を使ったストラップ作り

中田島砂丘をイメージした砂の瓶詰めの置物作り

遠州綿紬を使ったくるみボタン作り


本日は、②の中田島砂丘をイメージした砂の小瓶置物をご紹介虹


はじまりはじまり~

材料はこちら





①砂を選び瓶に入れます。
リアルな感じのグレーのお砂OR白いお砂
MIXしてもOKですよキラキラ








②小さな貝殻を2つ程選びお好みで色付けしますまるっ
なかなか小さいので難しい!頑張りポイントです







③こちらの中から、お好きなお色のウミガメさんパーツを1つ選び接着剤で②の貝殻にくっつけますハート
ウミガメさんパーツが、浜松市の中田島砂丘を感じられます!






④ ①の小瓶にこちらのグリッターやラメのパウダーから2種類程選び入れます
色々なカラーがあり選ぶのが楽しいっハート






⑤ ②.③の貝殻を④に入れ蓋をします






⑥ネームタグを選びお名前や日付、メッセージなどご自由にお書き下さいナイス





⑦最後はリボンを選び⑥を通し小瓶に巻き付け完成ですハート
パチパチくす玉







清き一票を!



縦横気分に合わせて置いて海辺砂丘を感じられる素敵なインテリアアイテムですちょき
小さなお子様でも大人の方にお手づだい頂きながら体験できますよキラキラ







営業再開致しましたら、ぜひ広々したスペースでゆったりとお好きなクラフト体験にチャレンジしてみてくださいねニコニコ




 

クラフト体験【天竜佐久間のアワビの貝殻でストラップ作り】

カテゴリー │浜松市浜松土産TheGATE館内ご案内

こんにちは!The GATE HAMAMATSUです。


おうちでGATEシリーズ、今日からは、当館で楽しめるクラフト体験についてご紹介していきますねクローバー


当館では現在、下記の3種類のクラフト体験が楽しめます。
どれもお一人様500円とお手頃価格ですキラキラ

天竜区佐久間で養殖されているアワビの貝殻を使ったストラップ作り

中田島砂丘をイメージした砂の瓶詰めの置物作り

遠州綿紬を使ったくるみボタン作り



今日は、①アワビの貝殻のストラップの作り方についてご紹介していきます♪





アワビの貝殻、もともとはこういう形です。内側が虹色に光っていてとてもきれいですね。
現在浜松市の北部、天竜区佐久間では食用アワビを養殖しており、GATEではその余った貝殻を頂いて、このストラップ作りの材料にしているんです。




さて、まずこちらを金づちでコンコン叩いて、割っていくところからスタートです。






※細かく割るのはけっこう大変ですが、小さいお子様やお時間がたくさん取れない方には、すでに砕いた状態の貝殻で作っていただく事もできますのでご安心くださいね。

砕いたアワビの欠片を集めていきます。







次は、ストラップの土台部分であるミール皿に、黒マジックで色を塗っていきます。



ミール皿の形は種類があるので、お好みのものを選んでいただけますよ。


黒色で塗りつぶしたら、レジン液を少量乗せて、全体に薄くのばしていきます。





出しすぎると、柄を作っているうちに、乗せた貝殻が泳いで行ってしまうので、薄ーくのばすのがポイントです。


いよいよ、貝殻を乗せていきます。



貝殻を全体に敷き詰めるのもきれいですし、土台の黒色を残して柄を作っていくのも楽しいですよ。
最初は小さな貝殻の扱いに悪戦苦闘しますが、慣れればスイスイできちゃいます♪

貝殻を乗せ終わったら、トップコートとして上からレジン液を流していきます。



つまようじで平にならして…




UVライトで5~10分くらい固めていきます。




最後にストラップの紐を選んでつけたら完成!!!




こちらはスタッフ作成のサンプル。つくっていると色々なアイデアが浮かんでくるので、面白いですよ!




GATE館内にはクラフト体験コーナーを設けており、開館中は売店レジにていつでも受け付けています。
(製作時間があるため、お申し込みの締め切りは18時頃まででお願いしています。)





浜松・浜名湖ツーリズムビューロー運営の「ちょい旅ガイド」にも掲載いただいており、
こちらのサイトから予約申し込みもできます下

https://hamamatsu-daisuki.net/hamanako-choitabi/100/



みなさん、GATEが再開した際にはぜひ体験コーナーものぞいてみてくださいねキラキラ
浜松の思い出の品を作っておうちに持ち帰りましょうおすまし


おすすめじゃ!!




 

家康公を支えた、浜松パワーフード

カテゴリー │浜松市浜松パワーフード浜松土産

徳川家康公といえば、あの戦乱の時代にして75歳まで生きたとされるご長寿さんですよね。
Hello

昔から言われていた死因としては、天ぷらの食べ過ぎ・食中毒など伝えられてきましたが
どうやら最近のおはなしでは胃がん説が有力らしいですね!(◎_◎;)

そんな食いしん坊そう(浜松では小豆餅の件もありますし…)なイメージのある家康公。
実は健康によく気を遣っていたと言われています。
そしてその家康公の出世の道や食を支えたのが「浜松パワーフード」と呼ばれています。

当館浜松城築城450年コーナーにも展示がございます!





そもそも浜松パワーフードってなに?という方に簡単にご説明いたします☝️

出世の道を果たした家康公は、29歳から45歳までの17年間を浜松で過ごしました。
家康公は食や健康への関心が非常に高い人物として知られ、健康的な習慣を送っていたとされます。
好物は浜松の特産物である「浜納豆」(当館お土産コーナーにもございます!)と「麦飯」。
旬の食材を大事にし、海の幸・山の幸をバランスよく取り入れていたそうな。
浜松では、豊富な旬の食材が、豊かな食文化を育み、人々の健康を支え、浜松人の「やらまいか精神」という活力を養ってきました。
また、この浜松の地で17年間を過ごした徳川家康の躍進を支えたのも浜松の食材だったと言われています。
のちに天下人となった家康公の躍進を支え、現在も浜松の「健康寿命日本一」を支える浜松産の旬の食材、及びその食材を使った料理を「浜松パワーフード」と定義します。


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とのことです!


では実際にどんなものがパワーフードなの?と気になっている皆さんのために、当館展示をより拡大してご紹介いたします!







いかがでしょうか?
うなぎ、すっぽん、牡蠣、とらふぐ、みかん……などは皆さんも浜松の特産品としてよくご存知だと思います。
(ちなみにスタッフ、天竜沖トロキンメなんて初めて知りました…)
あさりやじゃがいも、たまねぎなんてものもパワーフードとしてまとめられているんですね!
たしかに三方原馬鈴薯とか、新玉ねぎとかよく見かけますよね、、、
皆さんはこんなにもパワーフードがあること、ご存知でしたか?

ちなみにこの展示にも記述されていますが
"温暖な気候や豊かな自然に恵まれた浜松・浜名湖地域では、生産・漁獲される食材が農産物約170品、水産物約150品にのぼります”
ということで、合わせて約320品も浜松・浜名湖地域で作られ、パワーフードとなっているんですね!


そして浜松には「浜松パワーフード学会」というものが存在します。
浜松パワーフード学会は、家康公にまつわる歴史的背景のもと、全国随一の健康寿命を誇る浜松市で収穫された健康食材「浜松パワーフード」を浜松で食べていただくことを積極的にPRし、食を基点とした観光誘客と地域の活性化を目的とした民間団体です。

公式HPもございますので、ぜひご覧ください。


では実際に「浜松パワーフード」ってどこで食べられるの?
スーパーで買えるじゃがいもや玉ねぎはわかるけど、カニやうなぎなんて…とお思いの皆さん。

こちらにてご紹介されていますので、ぜひご覧ください!
※現在は臨時休業中・テイクアウトのみの営業もございます。ご注意ください。



家康公を支え、今現在も浜松市民の皆さんの健康寿命も支える浜松パワーフード。
今は外食に出かけることが難しい状況になっておりますが、いつか収束してお出かけが出来るそのときまで健康でいるためにも、パワーフードを見かけたらぜひ購入してみてください。コロナウイルスに負けないように健康でいましょう!✨
おすすめじゃ!!


 

五感で体感!!VR で城跡巡り

カテゴリー │浜松市城跡巡り浜松城TheGATE館内ご案内

こんにちは

今日はお天気もよく当館ののぼり旗が気持ちよさそうに揺れています

本日は、老若男女問わず来館したら体験頂きたい
コチラ❕



✨VR体験✨

2020年 1月のリニューアルにあわせて仲間入りした体験コーナーです

VR=バーチャルリアリティ
専用ゴーグルを装置することにより360度視界が覆われ、五感を含むあらゆる感覚が刺激され映像の中の世界がまるで現実の様に感じられる、
✴️仮想現実✴️を体感できるんですッ

ご利用方法はとってもシンプル




①まずおでこにゴーグルをピタリとくっつけます。
②リモコンを手に持ち、写真の様に人差し指がくるところで、見たい映像を選択
リモコンを左右に動かすとカーソルがでます!戻ったり、止めたり、選んだりができます。



③あとは、ゴーグルをつけたまま色々な方向にお顔を前後左右上下と動かしてみて下さいね




わからないときは、ご遠慮なくスタッフまでお尋ね下さいね

で、何が見れるの❔❔

じゃじゃーんびっくりびっくり

お城好きや歴史好きにはたまらない
鳥️️️になった気分で浜松の名城3箇所を巡ることができます✨


①二俣城





元亀3年、武田軍が遠江に侵攻し二俣城を囲むが天竜川と二俣川に囲まれた堅城のため攻略できなかった。しかしこの後の水を絶つ作戦により籠城軍は降伏することになったと伝えられています。

現在は天守台・大手門・石垣などが残るがそれらは豊臣系大名堀尾氏の築城と考えられ
また、徳川家康公の長男・信康公が自害させられた悲劇の城として広く知られている。

緑が生い茂る自然豊かな城跡です。
緑の洞窟を風をきって飛んでいる様です


②浜松城





徳川家康公は、元亀3年に引間城に入城し浜松城の築城や、城下町の拡大に取り掛かりました。
そして完成した浜松城で天正14年まで家康公は過ごしたと伝えられています。
その後天正18年には豊臣系堀尾吉晴氏が城主となり大規模改修が行われ天守閣や瓦の建物や石垣が造られました。現在観られる野面積の石垣もこの時期からのものです。

皆さんもきっと一度は訪れたことがある浜松城
天守閣から見る景色も美しいですが、VRだとより高い位置から街並みを見渡せます


③高根城





遠江最北端にある山城。この地域の豪族奥山氏が南北時代、後醍醐天皇の孫由機良親王を守る為築いたとされる。戦国時代、今川・徳川・武田の勢力争いの間で内部分裂を起こすが、元亀3年の武田軍遠江侵攻の際には、武田軍側の城として警備を任された。
現在は、城門・井楼櫓・木柵などが復元されています。
中世の山城としては、全国で初めて全面発掘された市指定史跡です。


愛知県との県境にある城跡、なかなか遠くて大変!当館でゆったり丘高い位置にある高根城をご堪能下さい


以上ご紹介してきましたが、雨風天候関係なく
楽しめるVR体験いかがでしょうか
なかなか他では体験できない視聴内容となっておりますので、ぜひ今後情勢など落ち着きましたらご利用下さいね




 

浜松の偉人

カテゴリー │浜松市歴史TheGATE館内ご案内

こんにちは!The GATE HAMAMATSUです。

今日は、引き続き「浜松城築城450周年記念コーナー」より、
浜松の偉人たちを紹介していきたいと思います。

こちらの、風格あるお顔触れ。
まるで、小学校の音楽室にある音楽家の肖像画のように並んでおりますが、
この8名の方は、浜松の産業やスポーツ・文化に多大な影響を与えた偉人達なのです。




こちらの皆さんを、今から順にご紹介していきますね。
敬称略にて、失礼いたします!


①山葉寅楠(やまは とらくす)




「音楽のまち浜松」を生み出したと言える、山葉寅楠。
世界的楽器メーカーのヤマハ㈱の前身である「山葉風琴(ふうきん)製造所」を設立されました。生まれは紀州(現在の和歌山)ながら、長崎で時計職人になり、その後医療機器の修理工として浜松に移りました。

その頃浜松はまだまだ田舎で、医療機器の修理だけで生計を立てられなかった山葉が、偶然浜松尋常小学校(現在の浜松市立元城小学校)にあるオルガンの修理をしたことをきっかけに、自身でオルガンの製造をはじめ、1888年に山葉風琴製造所を設立しました。

<関連施設>
ヤマハイノベーションロード

※予約制
※2020年4月25日現在休業中




②川上嘉一(かわかみ かいち)



川上嘉一は現在の浜北区内野の出身で、住友電線製造所(現在の住友電工)などに勤め、1927年に日本楽器製造㈱(現在のヤマハ)の社長に就任しました。
そのころ会社で起こっていた労働争議を解決し、近代的な技術開発と合理的な経営手法を取り入れ、世界的な優良企業へと成長させました。

浜松市初の名誉市民でもあります。

<関連施設>
ヤマハ掛川工場

※予約制
※2020年4月25日現在休止中



③河合小市(かわい こいち)



河井小市は、㈱河合楽器製作所の創業者です。現在の浜松市中区菅原長の出身で、11歳の時に山葉風琴製作所に丁稚入りし、山葉寅楠のもとでピアノ調律と製造方法を学びました。
先述した労働争議の際に日本楽器製造を退社し、翌年には河合楽器研究所(現河合楽器製作所)を設立しました。

<関連施設>
河合楽器製作所竜洋工場

※予約制
※2020年4月25日現在中止中



④鈴木道雄(すずき みちお)



今年創業100周年を迎えたスズキ㈱の創業者です。
出身は現在の浜松市南区芳川町で、生涯で120件以上の特許・実用新案を取得しました。鈴木式織機製作所を創業した後に、自動車開発に進出を進め、スズキの前身である鈴木自動車工業株式会社に改組しました。



<関連施設>
スズキ歴史館

※予約制
※2020年4月25日現在休館中



⑤田畑政治(たばた まさじ)




去年はこの方を「まーちゃん」と呼び、テレビの前で応援していた方も多いのではないでしょうか。2019年大河ドラマ「いだてん」の後半主人公も浜松市の出身なんです。
田畑は浜松市中区成子出身で、学生時代は自身も優秀な水泳選手でしたが、病気の為選手としての活躍を断念。以後、水泳選手の育成と日本水泳の基礎を築いた、「水泳ニッポンの父」と呼ばれるようになりました。
ご存知の通り、1964年開催の東京オリンピックの招致に尽力した人物としても有名です。



⑥高柳健次郎(たかやなぎ けんじろう)



「日本のテレビの父」と言われる高柳健次郎は、浜松市東区安新町(あんしんちょう)の出身です。静岡大学工学部の助教授時代にブラウン管テレビの受像実験を世界で初めて成功させた後、自身の弟子とともに日本ビクターに就職し、NHK、シャープ、東芝と共同でテレビ放送技術とテレビ受像機を完成させました。

<関連施設>
静岡大学高柳記念未来技術創造館

※予約不要
※2020年4月25日現在休館中



⑦本田宗一郎(ほんだ そういちろう)



浜松市天竜区出身の本田宗一郎は、東京の自動車修理工場アート商会(現在のアート)に入社後、浜松にのれん分けする形で独立し、その後本田技研工業㈱を創業しました。社長業の傍らで、自身の知識習得のために浜松高等工業学校(現在の静岡大学工学部)に聴講生として入学し、学生たち同様学生服と学生帽で通学したそうです。
日本人としてはじめてアメリカの「自動車殿堂」入りを果たしたことも有名です。

<関連施設>
本田宗一郎ものづくり伝承館

※予約不要
※2020年4月25日現在休館中



⑧晝馬輝夫(ひるま てるお)



晝馬輝夫という名前、聞き馴染みのない方も多いかもしれませんが、この方はつい2年前の2018年にご逝去されており、他の7名と比べると、かなり最近までご活躍されていた方です。

浜松市の出身で浜松高等工業学校(現在の静岡大学工学部)を卒業、先述の高柳健次郎の教え子らとともに、光関連機器の製造・販売企業として今や世界的に知られる「浜松ホトニクス」を創業しました。また、1978年~2009年の31年間にわたり、自身も社長を務めました。




さて、本日は浜松を代表する8名の偉人たちをご紹介しました!!
みなさん、本当にご自身のお力で出世されていらっしゃいますね。



下記のリンク先に、より詳細な情報が掲載されていますので、ご興味のある方はぜひご覧くださいおすまし

浜松・浜名湖だいすきネット 浜松偉人伝









 

ジオラマ展示【三方ヶ原の戦い 激突】・【家康公入城と浜松の民】

カテゴリー │浜松市徳川家康TheGATE館内ご案内

こんにちはへへん
本日は当館の展示エリアの中でも人気のある
ジオラマ
をご紹介致します。

ジオラマといえば、浜松市が誇る山田卓司氏!!ですよねナイス情景作家・浜松ゆかりの芸術家としして名高い山田卓司氏のジオラマを当館にて2作品、展示させていただいておりどちらの作品も何度も見返もすほど違った印象を受けたりと戦国時代や家康公の居た浜松市の情景が伝わってくる歴史を知る上でとても勉強になるので本日もお写真と併せて"おうちでGATE”お楽しみ下さい。


三方ヶ原の戦い 激突









こちらの作品は、絵巻など現存しているイメージ資料のない中で三方ヶ原の戦いを出撃・激突・敗走・反撃・戒め
と5つのストーリーに分け作られたジオラマの激突の作品となります。
犀ヶ崖資料館に以前は展示されたいた作品ですのでご存知の方も多くいらっしゃるのではと思います
キラキラ











こんなに細かいのに、鮮明に人々の戦う姿が描かれていることにまずは感動しました!まじまじ観ると甲冑の色や、旗の絵柄、武将達の
向きが違うことに気づきます・・・そしてだんだんと自分頭の中で情景が展開していくのも面白さの一つだなぁと思いますびっくり



ジオラマ作品は、作品の高さまで目線を落として観るとより臨場感や躍動感を体感できるとのことを犀ケ崖資料館のボランティアガイドの方々にアドバイス頂きましたにんまり
他にもこの作品を鑑賞の際知っているとより面白くなるガイドブックもお借りしていますので、ぜひご活用下さいね音楽








2作品目は2020年1月当館の展示エリアリニューアルオープンに合わせて、おつくり頂いた作品


~家康公入城と浜松の民~








1570年、現在の東照宮のある近くにこじんまりとした引間城と宿場町がありそこへ家康公が入城されたそうです。
しかしながらとても宿場町とは言えない狭さを気にされ城や町を広げようと岡崎城下から多くの人を来させ浜松城下町の建設
取り掛かったそう。
民の暮らしぶりを、城下を周り確かめる家康公の姿をこちらの作品で味わえます。












より色彩が鮮やかで、家康公や民の表情が豊かで温かみを感じますキラキラ
家康公のお顔もとても穏やかですねラブ



4方向からそれぞれ観るとさらに美しい情景が観られますよ太陽





また、コロナウイルス感染症も落ち着き外出自粛も解除されましたらこちらの施設にも足を運ばれてはいかがでしょうか。

ジオラマファクトリー
浜松市博物館
犀ヶ崖資料館
 
浜松の歴史や文化・ジオラマ作品が多数展示されていますのでおススメです!

おすすめじゃ!!




以上2作品のお写真をおご紹介させていただきましたがやはり物足りないと思いますので、営業再開致しましたらぜひ生で作品をお楽しみ下さい上昇


それでは本日もお読み下さりありがとうございましたちょき








 

徳川の甲冑、井伊の甲冑

カテゴリー │浜松市浜松城徳川家康TheGATE館内ご案内

こんにちは☀️
昨日までは浜松城、そして徳川家康の歴史について触れてきましたが
今回は当館でもとっても目立つ展示の一つ☝️
徳川家康公像、そして二つの甲冑についてお話していきます✨


当館の浜松城築城450周年コーナーへ足を踏み入れると、、、




とっても大きくてとってもリアル✨な家康公像が目に入ります!



手や足、顔や首などをじ〜〜〜っと見つめると、、、
なんとうっすら産毛が生えていたり、まつげも人間そっくりのように生えていて
なんなら血管まで透けて見えているのです!



(お写真では分かりづらく、全てをお伝えすることができませんが…
ぜひ当館の休館が明けた際には、この像を目掛けて走ってきてくださいね!)


こちらの家康公像ですが、「家康公の視覚化」をコンセプトに三方ヶ原の戦いに出陣する
当時31歳の家康公を表現した肖像となっております。
サイズはなんと当時の家康公の身長と同じとされる「159センチ」
(大きそうなイメージがありましたが、意外と小さいんですね…)

歴史学者の磯田道史さんの文献を参考に装飾品を選び、特殊メーク専門家アーティストのJIROさんによって制作されました。
普通の銅像より、このようにリアルに作られた肖像ですと、より生きていたんだな…!と思いますよね
当館を訪れたお客様はよく「本物かと思った」「毛の生え方がすごい」などと感嘆していかれますよ。
こちらの像は現在休館中の浜松城からお借りしていますよ!


そしてこのリアルな家康公像を守護するかのように並んでいる二体のマネキン。
こちらは徳川軍・井伊軍を表した甲冑を身につけたマネキンになっています。


まず左手にあります黒い甲冑をきたマネキン。


こちらの甲冑は「茶糸威黒胸取二枚胴具足(ちゃいとおどしくろむねどりにまいどうぐそく)」と呼ばれる甲冑です。
この甲冑は徳川軍のものとなっております。
家康公の家紋、葵の御紋が煌めいていてかっこいいですよね✨
兜についている前たて(兜の正面につける装飾品)はシダの葉を表しているそうです。
黒色が堅固な強さを感じて、かっこいい甲冑になっています。


次は右手にあります赤い甲冑をきたマネキン。



こちらの甲冑は「黒糸威赤桶側二枚胴具足(くろいとおどしあかおけがわにまいどうぐそく)」と呼ばれる甲冑です。
皆さまの記憶にもあたらしい、「おんな城主 井伊直虎」で知られる井伊軍の甲冑です。
この甲冑は井伊の赤鬼・井伊直政のものとなっております。
井伊直政は徳川家の小姓となり、のちに徳川四天王と呼ばれる猛者の一員となります。
この朱色の甲冑は武田信玄で有名な武田軍が滅亡後、武田家の旧臣の多くが家康の力によって直政の直属として与えられたため、武田軍の兵法と朱色の軍装を継承することになり、この甲冑は「井伊の赤備え」と呼ばれるようになります。
この直政の赤備えがお披露目されたのは1584年の小牧・長久手の戦いとされており、
以後天下分け目の戦いと呼ばれる関ヶ原の戦いまで、この朱色の甲冑を身につけていたそうですよ!


こちらの甲冑二体はご自由に撮影・触っていただくことができます✨
お客様の中には「甲冑が着れるようになったらもっと楽しい!」とのお言葉もいただきます。
そちらのご要望にはなかなかお答えすることはできないのですが……、見ているだけでもかっこいい!と思っていただけると思いますので、ぜひぜひ休館後にはじっくり見にいらしてくださいね!


 

徳川家康の生涯

カテゴリー │浜松市歴史徳川家康TheGATE館内ご案内

こんにちはおすまし

The GATE HAMAMATSU、本日は浜松城築城450周年コーナーより、
徳川家康公の生涯と、浜松にまつわるエピソードをご紹介していきますキラキラ

浜松の公式ゆるキャラといえば、みなさんご存知「出世大名家康くん」。

Hello

可愛いですね~。

このように、浜松市はけっこうがっつりと家康公をPRしているのですが、
意外と当館にお越しのお客様には「家康って三河と静岡でしょう?なんで浜松なの?」
といったご質問を受けることが多々あります。

そんな時はよくぞ聞いてくださいましたとばかりにご説明しているのですが、
今日はその内容をこのブログ記事で熱く語っていこうと思います♪




こちらの展示コーナーに入っていくと、奥に現れるのが、この年表。
家康公が生まれてから、天下統一を果たしその生涯を終えるまでの流れがこの年表に載っており、
年表の下の部分には赤い線で家康公が浜松城に在城していた時期が示されています。




こちらの写真では少々読みづらいかと思いますので、家康の生涯にまつわる部分を下記にまとめました。



1542年(天文11年) 三河国岡崎に生まれる(1歳) 氏名:松平竹千代

1547年(天文16年) 今川氏の人質として駿府へ向かう途中連れ去られ、織田信秀へ売られる。(6歳)

1549年(天文18年) 父弘忠暗殺。今川義元の人質となり駿府へ移る。(8歳)

1557年(弘治3年)  義元の姪、築山殿と結婚、元康と改名する。(16歳)

1559年(永禄2年)  墓参に岡崎へ帰る。元康と改名する。(18歳)

1560年(永禄3年)  桶狭間にて織田信長が今川義元を討ち取る。(19歳)

1563年(永禄6年)  長男信康、信長の娘篤姫と婚約。名を家康と改める。三河一向一揆鎮圧へ。(22歳)

1566年(永禄9年)  姓を徳川と改める。(25歳)

1570年(元亀元年) 岡崎より浜松へ移る。姉川の戦で朝倉軍を破る。(29歳)

1572年(元亀3年)  三方ヶ原の合戦で敗北する。(31歳)

1575年(天正3年)  長篠の戦いで武田勝頼軍を撃破。(34歳)

1579年(天正7年)  三男徳川秀忠(二代将軍)誕生。   
            正室築山御前の死と嫡男信康の自害。 (38歳)

1582年(天正10年) 武田氏滅亡、駿河国を領す。本能寺の変で信長自害する。
            堺の家康伊賀越えで危機を脱し岡崎へ帰る。(39歳)
  
1586年(天正14年) 秀吉との盟約なり朝日姫をめとる。大坂城で秀吉と対面する。
            浜松から駿府城へ移り、甲信の経略を進める。(45歳)

1590年(天正18年) 秀吉からの移封命令により、江戸城を居城とする。(59歳)

1600年(慶長5年)  関ヶ原の合戦で大勝する。(59歳)

1604年(慶長8年)  征夷大将軍となり江戸幕府を開く。(62歳)

1607年(慶長12年) 駿府へ隠退する。(66歳)

1616年(元和2年)  調停より太政大臣に任じられる。四月病状悪化。17日卒する。久能山に葬る。(75歳)



上記の年表から、家康公は姓を徳川と名乗った後、29歳から45歳までのおよそ16年間、浜松に在城していたことがわかりますね。
この浜松城にいる間に、家臣にも恵まれた家康公は目覚ましいほどの活躍をし天下統一に向けての出世をしていくのですが、
実際に起こったことを振り返ると、家康公ご自身にとって、浜松は苦い思い出の多い場所なのかもしれません。
特に有名な史実はこちらのふたつ。


①三方ヶ原合戦での敗北

家康公が浜松に移った後、甲斐(現在の山梨)の虎と呼ばれる武田信玄が織田信長を倒すための進軍を阻止するため、
三方ヶ原にて戦を行いましたが、結果は大敗。

昨日投稿した家康の散歩道のルートには、この三方ヶ原の合戦にまつわるスポットが沢山ありますので、
ぜひそちらもご覧くださいね!

特に、私がおススメなのが⑨犀ケ崖(さいががけ)古戦場

三方ヶ原合戦で大敗を喫した家康公が、武田軍に一矢報いるべく、鉄砲隊を率いて夜襲をかけた場所です。
地理不案内な武田軍は混乱し、次々と深い谷へ転落し多くの命を失ったそうです。
この翌々年から、崖の下から人や馬のうめき声が聞こえるようになり、
また付近で怪我をする者が相次ぐなど良くないことが続いたため、
武田軍の祟りを鎮めるため、この戦いによる死者を弔うための「遠州大念仏」という行事を毎年行うようになったそうです。

住宅街の中で、すぐそばに大通りがあるにも関わらず、この犀ケ崖の谷はうっそうと茂った木々で薄暗く、
子供のころはとにかく近寄りたくない、怖いスポットでした…。
夜寝る前に、血だらけの落ち武者の幽霊の姿を想像してしまってとにかく怯えていたのを覚えています笑



②正室築山御前と嫡男信康の死

1579年、家康公38歳の時、敵方と内通したとの疑いで、正室である築山御前と嫡男である信康を処刑しました。
これには諸説ありますが、主君である織田信長の手前とはいえ、
ご自身の家族を処刑するというのは、その生涯で最も辛い決断だったことでしょう。

信康は二俣城で切腹をし、築山御前は佐鳴湖付近で命を奪われました。
その際、築山御前の血の付いた刀を洗ったとされるのが、太刀洗(たちあらい)の池
現在は池は埋め立てられ、少し離れた浜松医療センター駐車場の片隅に碑が残っています。

また、築山御前の霊廟が置かれている西来院(せいらいいん)は、
冬は椿、春には藤の花が咲き、訪れる人の目を楽しませています。



こちらは今年1月に訪れた時の写真です。静謐な雰囲気ですね。

もちろんどちらも家康の散歩道ルートに掲載された場所となります。



以上、かなり暗いエピソードが続いてしまいましたが、
このような辛い出来事があった浜松での時期があったからこそ、
家康公はその後の天下統一を成し遂げられたのではないかと思います。

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今回は徳川家康公の生涯と、浜松での出来事を紹介させていただきました!
次回もお楽しみに♪







 

家康の散歩道 を巡る!

カテゴリー │浜松市観光案内歴史徳川家康

こんにちは 今日は春風が気持ち良いですね
浜松城 築城450周年となり再び出世の街 浜松がクローズアップされています!

本日は、当館記念展示コーナーでもご紹介中の
家康の散歩道をご案内します✨

実際にTheGateスタッフ も、浜松城や徳川家康公 のお勉強に‥
こちらのパンフレットをもとに、家康の散歩道をめぐってきました‼️






パンフレットのルート順にアップしていきます
のでご参考にお役立てください

遠州病院駅隣にある、徳川秀忠公
誕生の井戸
この立て看板が目印です







浜松八幡宮
家康公が三方ヶ原合戦時逃げ込んだとされる
雲立のクス樹齢1000年だそうで神々しい神木ですね


椿姫観音
悲運の女城主 お田鶴の方の伝説の地
願いを聞いてくれる大きな石がありますよ




東照宮
今川家武将軍の居城であった引間城
現在は、家康公を祀る東照宮とされます
写真スポットもあり、景観もgoodです




五社神社
街中からも近い子育て,子守りの神様としての信仰が深く二代将軍秀忠公の産土神として家康公から命を受けた神社だそうです。
七五三の時期にはとても賑わいます。



家康公鎧掛松
三方ヶ原合戦に負け、浜松城に逃げ帰った家康公が鎧を脱いで掛けたといわれている松。
現在は三代目の松の様です。




浜松城

野面積みの石垣はほぼ戦国時代そのままの姿で残っています!

本多肥後守正真の碑
徳川四天王と言われた一人として名高い人物
家康本隊の後退を守るべく刀一本で敵に斬り込み討死した英雄の碑になります。




犀ヶ崖古戦場

武田信玄公に一死報いた古戦場跡
三方原の合戦で大敗したその夜、夜襲をかけ多くの武田軍が崖から転落し命を落としました。
死者を弔うための遠州大念仏のルーツがここで知ることができますよ




夏目次郎左衛門信の碑
家康公の身代わりとなった勇猛な家臣
三方ヶ原の合戦で、家康公の身代わりとなり敵陣に立ちはだかり討死したと言われています。

普済寺
遠江における曹洞宗の古刹のひとつ
三方ヶ原の合戦の際には、作戦で浜松城炎上のカモフラージュとして普済寺を炎上させ被害を受けましたが再建されたお寺です。



西来院
38歳で生涯を、閉じた家康公の正室 築山御前が眠る寺 謀反の疑いから佐鳴湖畔で家康公の家臣らにより殺害された築山御前 。春には藤の花が美しく咲きほこるそうです。
小道が幻想的で綺麗でした。




宗源院
徳川家ゆかりの武将たちが眠る古刹



浜松市博物館
浜松の歴史はここで!
家康公や浜松城下の資料など数々の歴史を知ることができます。



太刀洗の池
家康公の正室 築山御前を切った太刀を洗った伝説の池 現在は埋めたてられ、
富塚町の県西部浜松医療センター駐車場の片隅にその碑が残っています。


以上家康の散歩道を巡ってきました!
外出自粛の生活の中で少しコロナ疲れも来ている方も多いと思います
気分転換にもなるので、良ろしければ少し
家康公が辿った各所をお散歩してみて下さいね